どうも僕です。

5月末に物を持ち上げようとしたら腰を痛めたのをきっかけに、9月に悪化しそれが今なお続いているような状態です。こうした腰痛もあってか、今年は老化を特に意識するようになってしまいました。

ほうれい線ができているのではないか、白髪が生えているのではないか、ハゲが進行しているのではないか・・・

いずれも兆候はまだ見られず、気にしすぎてもどうしようもないとは分かっているものの、毎日のように鏡を見てしまうようになってしまいました。

 

これはこの間twitterでも呟いたことなのですが、10年~20年前から既に存在していた有名人の現在の年齢を調べることがちょっとだけトレンドになっています。

ふとタイムラインに福山雅治の名前を見て、今どんな感じなんだろうとググって、50を超えていることに絶望して、34、35歳の時と今の自分と見比べてチー牛顔であることを嗤いながらも老化という部分では全然イケてると思ったり・・・

 

今年の漢字というのがありますが、自分の今年を漢字で現すなら「滞」あたりが合ってるんじゃないでしょうか。自分の人生をグラフで表した時、今までは曲がりなりにもずっと上に伸びていたものが今年は横ばいになったような気がします。

今後まだ伸びることはできるのか、このまま停滞を続けた後落ちていくだけなのか、来年はどんな記事を書いているのやら。

 

ネガティブな話題だけではアレですので、明るい話題も一応入れておきましょう。

ざっくり言うと父親が来年社長になるようです。

これがどういうことなのか、そう。僕がどれだけ落ちぶれてもセーフティネットが存在するということ。とりあえず僕の生はまだまだ続けられそうです。

 

 

前回から9ヶ月、変わったことといえば一昨日に34歳になり、有職になったくらいです。

いつからか誕生日をめでたく感じることもなくなり、35が差し迫ってるとなるといよいよ恐怖を感じざるをえません。その理由は単純で、四捨五入したら40ということだったり、健康診断のレベルが上がってバリウムとかいうのを飲まないといけなかったりとか、くだらなかったりするのですが。

 

さて今回のテーマは「櫻」です。なぜ旧字体の桜なのか。答えは自分の本名にそれが使われているからです。由来は3月25日、桜の季節だからですね。

このブログの背景もそういう意図があって桜にしていたり、ほとんどのアカウント名が仏語で桜を意味するcerisierを使っていたり、意外に拘りや誇りみたいなものを持っていたりします。

 

しかしこの「櫻」、格好はいいのですが、二つのデメリットを抱えています。

一つは書くのが面倒臭いということです。私のフルネームの総画数はこれの21画も相まって57画になります。平均は知らないけど多分30くらいじゃないでしょうか。

実はこれ学生の時に差が出ます。テストの際、大勢の人がまず始めに名前から書きます。私が名前を書き終わる頃には、みんな問題を解いています。時間のディスアドバンテージを抱えることと、それによって生じる多少の焦りだとかに発展していきます。

もう一つは読み方です。「嬰(えい)」を連想させてしまうため、櫻(おう)〇〇というところを、えい○○?と読み方を確認されたことは小学1年まで遡って数え切れないほどありました。

 

そんな「櫻」ですが、万が一自分の血を受け継ぐ男がこの世に誕生するという間違いが起きた場合は受け継がせようと思います。ロマサガ2皇位継承感覚のゲーム脳ですね。昭和脳なので、自分が経験した苦労は後釜にしっかり味わわせてやりたいものです。やはりこの男は一生独身で死んだ方がいいと思います。

 

最後に、桜の話題にしようと思ったのはやたらとtwitterで花見という単語を目にするようになったからです。ちなみに私は一度も花見をやったことがありません。やる意味やメリットが何一つ分かりません。居酒屋が完全上位互換にしか見えません。素直に居酒屋に行きましょう。私は最強なので今週末もずっと引き籠もります。

姉のお話

僕には5つ上の姉がいます。学生の時はものすごく荒れていました。

高校の時は鞄にポケットナイフみたいなのを忍ばせていたし、自分が遊びに行くことに何かと難癖付けられて、すごく拘束されたりしていました。

母に向かって鉄バットを構えている(実際には打っていないとは思う)のは今でも鮮明な記憶ですし、夜の8時頃に父に叱られてこの世の終わりのような発狂を繰り出し、親に促されて救急車を自宅に呼んで連れて行くなどしたこともありました。

 

そんな姉も今では二児の母です。旦那さんはこういうエピソードを知ったらどうなるのか、むしろ知ってて付き合っているのかとか思うこともよくあります。よく喧嘩話を母にぶち撒けているのも聞きますが、それでもちゃんとやってます。

 

そこなファッションメンヘラ女子、twitterのお気持ち表明漫画にもよくあるように、いつの間にか当たり前の幸せを享受できる人生になってたりするからとりあえず生きろ。こんな姉ですらその軌道に乗ってるんだから。

最近うちのマンションで飛び降りがありました。若い女の人だったそうです。生死の程は聞いてませんが、間違っても死を選んじゃいけません。

 

一方この異常独身こどおじ、自分の種は一寸たりとも残すまいと今日も元気に生きてます。

今最終面接まで漕ぎ着けている会社、今までの比じゃないほど好待遇だから受かるといいなぁ~

底辺

現在5社を渡り歩いてきた僕ですが、新卒時代のことでも語っていこうかと思います。

 

大学時代父親の手伝いで何度かある食品の工場に行ってたこともあり、なんとなーく同じ系統の会社を受けました。内定式に出た記憶もあるので、時期的には早すぎず、遅すぎずくらいの内定だったのでしょう。

僕と同期は同じ大卒で1人、あとは高卒の男が5人女が2人でした。

女2人は最初は現場を経験して事務、男は全員現場配属でした。特に大卒だった僕ともう1人は、工場内の数十人いるパートのおばちゃんを纏める役として配属されました。

まだまだ駆け出しの会社だったということで、販売店舗をどんどん増やしていきました。

いざ開店の時になると、色んな人に知ってもらうということで大量に安売りをすることになります。その中でいつかの開店前夜に予定数に間に合わなかったのか、社員だけで朝の3時頃までずっと工場で仕事をしていました。それからスクーターで家に帰り、6時頃にはまた家を出ていました。

このエピソードがやっぱり一番インパクトが強くて、後の面接での辞めた理由は大概これを話しています。多分それなりに死んだ目をしていたのではないでしょうか。

また、先輩社員の話にはなりますが、35歳くらいの元ヤンのような人がいて、DV男みたいに鬼のように怒鳴ったりすることもあれば一緒に笑い合ったりしてくれる時もありました。

僕だけでなく全ての男性社員が彼にしばしば怒鳴られました。僕の一番記憶に残っているのは胸ぐらを捕まれたことでしょうか。怒られた後堪えられなくなって人目のない隅っこへ行って段ボールの陰でうずくまって泣いたこともありました。

辞める1ヶ月前、普段どおりスクーターで出社したのですが、いつも右に曲がる信号を左へと曲がっていました。向かった先は唯二のリア友のうちの一人の家です。

彼は当時夜勤の仕事をやっていましたので、まだ起きているだろうと向かったのだと思います。そこでなんとなく事情を話し、会社の始業前にベランダに出て電話で辞めますと連絡しました。

それからなんやかんやあって1ヶ月くらい引き継ぎ期間等をこなし、退社することになりました。

 

大卒のもう一人がパートの33歳の人妻と関係に至るもそのことがバレて離婚することだったり、相手の夫から殴られたりとか色んな中のエピソードもあるのですが、長くなるので割愛。

僕はといえば溢れ出るコミュ障アスペオーラでもって、そういうことに至るまでのプロセスが構築できずに40~50歳のおばちゃんに悪態をついてかわいがってもらうのが精々でしたね。

 

生き様

月一更新もままならなくなってしまいました。

フォロワーから最も脈アリだったエピを聞かれたので、こっちにも書き留めようかと思った次第。

 

新卒で入った会社にて。そこにはパートで28歳くらいの子がいました。食品工場だったので頭巾にマスクだったのと、更に僕の人の顔を見ない性質も相まってほぼ雰囲気でしかなかったのですが気になっていました。

1年半で仕事を辞めた後、同じパートのおばちゃんがよくしてくれて連絡を取れるようになりました。

それから映画を見に行って食事をしたり、バレンタインデーにはチョコを貰ったり、そのおばちゃんも入れてカラオケ行ったり、最終的にはあちらから告白までしてもらいました。

ただ僕は当時ネットゲームが生活の中心でした。引退する時には総額で約100万円入れていました。また、バイクの免許も取ってツーリング行ったりととにかく趣味中心の生活でした。

ここで趣味と彼女を天秤にかけるのですが、当時の僕は迷いなく趣味を取りました。彼女の年齢を考えるとこんな気持ちで付き合って、結果別れたりすると結婚適齢期を逃してしまうのではと思ったし、なにより当時無職だったことが引け目でもありました。

当時その考えを直接相手に言っていれば、それでも受け入れてくれるような人であれば、今の僕は童貞じゃないどころか、結婚もしていたのではないだろうかとか思います。

 

ちなみにその彼女は数年後に結婚したという報告をおばちゃん経由で教えてもらいました。

僕はこの選択を後悔していないし、その報せを受けて間違いじゃなかったのではとも思っています。断りを入れて以来連絡は取っていないので直接祝福もしていませんが、本当に良かったと思っています。

 

その後も1回脈アリだった女の子はいたのですが、当時所属していた会社のやり方にブチギレてそのままオサラバしちゃいました。20歳差くらいあるとはいえ、一応彼氏もいましたしね。

 

現在33歳無職童貞を突っ走っていますが、よっぽどの人が現れない限りは僕は死ぬまで性行為をしないだろうなと思っています。孤独死上等、僕は昭和最後の童帝としてこの世に君臨し続ける。

ちんぽぷら

前回の投稿から今まで二度三度と投稿しようと書き連ねてはいたんですが、なんか纏まらなくってブラウザバックで消していました。

現在の仕事も残すところあと一週間ですが、次のアテは見つけていません。とはいえこの業界人手不足もいいとこなので、ぶっちゃけるとすぐ採用される自信はあったり。

というわけで4月は他県に色々遊びに行こうと思います。
自分が猫と離れたくない、またかわいがってる母親とも離したくないということで子供部屋おじさんを続けていましたが、そのしがらみもなくなったので他県で働くことも考えようかなぁとか。

前回が節目だっとこともあり、今回も節目です。今日は僕の誕生日です。33になりました。ガチで嬉しくないですね。

33歳にもなって、こんな文章しか書けないのか!
ちんぽぷらーー!!!!!!!!