キモティ

というわけで、現在渦中の…中断してたのでちょっと旬が過ぎた人の話題となります。

 

流出した手紙の中には、ちょっと詩的に表現されている所もあり、確かにそういった部分は目を覆いたくなる恥ずかしさはあるかと思います。

しかしながらそんな箇所も含めて見る彼女の文章というのは、知的で非常に読みやすく、非常に気持ちの入ったものだと僕は感じました。

というか、単純に僕好みの字なんですよね。文字を書くということに於いては、一方的にシンパシーを抱いたりしています。

 

サマータイムレンダの外伝、異聞百景のあとがきに書いてあることなんですが

この中にはいくつも分かりみ〜と言いたくなるようなことが書いてあるんです。

漢字にすべきか、平仮名にすべきか。このブログを書くにあたってですら、幾度もこの難題に躓きます。「所」を平仮名にする方が適切じゃないか?とか毎回考えちゃいます。小説なんて大それたものでもない、ただのチラシの裏でさえそのような判断を迫られる連続です。

 

さて話を戻すと、そんな彼女の手紙も読めば読むほどその判断が窺える箇所がある、と思うんです。

これは単純に国語力の問題かもしれませんが、都合をつけての「会う」と、運命的な意味を持つ「逢う」の使い分け。「寂しい」ではなくより心情的である「淋しい」を使うこと。同様に「思う」ではなく「想う」を使うこと。

「人」だと概念的な意味とも捉えられるから、その中でも特別な一人という意味で英語の冠詞theを付けた意味で「ひと」と書く。「一番」を平仮名にしていることも、より特別な一番という意味が込められているように感じる。

距離の「距」のつくりに縦線が入っていること。これはかなりの難題です。二人を分け隔てている何かを表現したものなのか、ただ間違えちゃったのか。僕の本線は、間違えちゃったけどそれまで書いた2行に込めた気持ちを無碍にしなくないから続行した、です。

 

重箱の隅をつつくようなピックアップがまだあるわけですが、要は気持ちがすごく込められてるなぁと僕は思うんです。漢字一つ一つの選択が、文字との戦いだったのではないかと想像しちゃいます。

ここまで全部僕の妄想で全て的外れだったなんてこともあるかもしれませんが。

 

一昔前に、というか今でも? 争点になった履歴書の手書き論、僕が旧い人間というのもあるんでしょうが、文字から窺えるその人の何かってあると思うから理解はできるんですよね。

まぁ何はともあれ、やったことの是非はともかく僕もあのような手紙をいただきたいものですねぇ〜