思ひ出

著名な方が亡くなる、というのは当たり前だけど歳を取れば取るほど増えていくものですね。

先日仕事中にXを開くと、いのまたむつみさん(以下敬称略)の訃報がリツイートで回っていました。僕の中でいのまたむつみといえばテイルズオブシリーズJRPG大好きな僕がプレイしていないわけがなく、その報せを見た時真っ先に人生で初めてテイルズに、そしていのまたむつみに触れた記憶が思い起こされました。

あれは中学時代、体調不良を起こして人生初の早退をすることになった日のことでした。いざ早退しようとしたその時、もう一人早退する生徒が同じ保険室にいました。彼は同じ部活に所属する川上君でした。二人とも自転車で帰る方向も一緒ときたものだから一緒に帰ることとなりました。(体調不良なのにチャリで帰るってどういうことだと今更ながら思う。)

二人は開放感からか、体調不良も和らいでいるようでRショップ(コンビニ)に寄ったりしてそのまま誰もいない僕の家で遊ぶことにしました。僕の家の方が遠いため、川上君の家に一度寄って帰宅。川上君はあるゲームソフトを持ってきていました。そう、テイルズオブエターニアでした。少し風邪っぽい症状を感じつつ、川上君がエターニアをプレイする画面を見つめる…ものすごく惹かれた。

それからお年玉だか何かで僕はエターニアを購入した。めっちゃプレイした。緋凰絶炎衝をめっちゃ使った。いのまたむつみの絵で真っ先に思い浮かべるのはエターニアのパッケージの表紙です。ありがとういのまたむつみ、ありがとう川上君。

 

ついでに他のテイルズの思い出を語ると、真っ先に出てくるのはジアビス。多分一番最強のデータを作った作品がこれ。トゥッティという1つしかないアイテムがあるのですが、これを装備してレベルアップするとステータスボーナスが最大値付くというもので、これを全員で共有させるために対象の一人以外を戦闘不能にしてソロレベリングするという作業をやってました(アニスは嫌いだったからハブいたよごめんね)。後にネット文化に触れるようになって知ったことなんですが、2chで語られる時にやたらロード時間のことを言われてて、でも自分は当時全く気にせずプレイできていたことからネットに毒されないことの大事さを学んだものでした。

ヴェスペリアは主人公のユーリ君が左手に剣の紐を持ってブラブラさせて走るという特徴があるのですが、大学時代ちょっと真似して鞄の紐を持ってブラブラさせて歩いていました。

グレイセスではヒューバート君が二刀流を駆使するキャラだったのですが、会社で掃除をする際両手にスポンジを持ってそのキャラのセリフだか技名だかをブツブツ言いながらやってました。

とまぁ色々影響を受けたテイルズオブシリーズなのでした。川上君に感謝。

 

それから時期を同じくして逝去された鳥山明さん(以下敬称略)にも触れなければいけません。

鳥山明といえばドラゴンボール…ではあるんですが、僕はあんまりドラゴンボールに思い入れがないんです。もちろんアニメは見ていたのですが、どっちかといえばはごろもフーズのCMとか、コーンフロスティのCMが思い起こされるばかり。特にシリアルを食べる文化が我が家になかったため、コーンフロスティへの興味は尽きませんでした。(ちゃんと兄弟でドラゴンボールごっことかやってかめはめ波撃ってたよ)

 

てな感じで僕にとっての鳥山明はやはりこちらもJRPGであるドラゴンクエストになるわけです。というか、僕の人生において最もプレイしているゲームがドラゴンクエストシリーズなんです。

本当に一番古い記憶は幼稚園の頃だと思うんですが、兄がファミコンドラクエ4をやっているのを眺めていました。

ドラクエ5のザキ(即死魔法)で死ぬ時の効果音がトラウマで、今でも全作品でザキを使われると目を瞑りたくなるくらい恐怖心を煽られてしまいます。

ドラクエ3スーパーファミコン版は親が寝た後の夜更けにこっそりゲームできる部屋に行ってやってた記憶があります。小学生でした。

ドラクエ6は裏ボスが倒せないと言ってきた太田君のビルドを弄って一発で倒したのが今でも武勇伝として太田君と笑い合うことができます。

ドラクエ8は同じく太田君が裏ボス攻略で頼ってきたので、二人で戦っていました。大学受験真っ只中でした。

ドラクエ10はオンラインということで食わず嫌いしてたのですが、太田君に誘われて始めました。今でも毎日最低でもログインだけはしています。今日はこれからログインします。

語りだしたら止まりませんね。ありがとう鳥山明、ありがとう太田君。